DESIGN PARADOX デザインの逆説

人間とは不思議な生き物である。理屈どおりには反応しないし動いてもくれない。たぶん、人間だけではなく、生命自体がそうなのだろうけれど、揺れていて捉えどころがない。芸術にしろ、技術にしろ、もちろんデザインも人間のためにあるのだから深く人間を知ることから全てが始まるのだが、それなのに人間とは何かが永久に解明できないのだとしたら、理解してからデザインするのではなく、デザインをしながら理解していくしか方法がないということになる。

僕は建築学とは人間学だと学生時代から考えていたから人間とは何かを理解しようと努めてきた。しかし、いまだにそのほとんどは見えないままである。そんな心境のままに、デザインとは何かを語り始めることにしよう。
生きている目的もそうなのだが、デザインの目的は「美を探す」ことにある。「美」とは物事の表面のことではなく、「感動」ともいうべき、心が揺さぶられる何かだろう。揺さぶられ、ときめくことをまずは美と言ってもいいと考えている。芸術だけではなく、日常生活の喜怒哀楽も美に近いところにあるし、凄惨な破綻や悲劇も美と無関係ではない。
そう考えると結局、「美は生命だ」と言わざるを得なくなる。美を考えていくと、気付けば生や死に到達する。要するに美は「生」も、その裏の「死」も含んだ「生命」のことであるらしいのだ。
「デザインの逆説」について考え始めたのは前著『野生の衝動』を書き始めてからである。東アジアの支配的な思想は結局のところ自然思想であり、その出発点はアニミズムともいうべき自然への畏怖の念がつくり上げていく思想の体系なのだろう。
自然とは人為によらないもの、という定義があるが、人為もまた自然だという考えは疑う余地がないのだから、自然の理解を僕は「僕の中にある自然」と捉えることにしている。僕自身が自然に呑み込まれている感覚そのままに、自然を「僕の中の自然」と考えたのである。僕も自然であり、自然に依存しきっているのに、その自然から自立しようともがいている僕という人間こそ「自然」なのだと考えるのである。

そもそも、生き物の登場は宇宙の偶然であり、奇跡だったのだろう。宇宙のまさに特異点として生き物が生まれたことは間違いがない。その宇宙の大自然から抜け出して自己実現を果たそうとする人間が、それにもかかわらず抜け出せないで巻き込まれ続けている。この人間の自己矛盾が「僕の中の自然」という言葉の中に含まれている。
生き物は初めから二律背反的であるように運命付けられているのである。
デザインは人間のためにある。その人間が一筋縄ではいかないのだ。デザインを逆説的に捉えようとするのはここから始まっているのである。自然に流されているだけなのを嫌う人間が、そこから自立して生命の感動を得ようともがいている。二律背反を脱出して、自己の生命を挑発する超絶的な美を求めている。普通の美を実現することで満足しない人間、超絶的な美を求めている人間のためにはこの「逆説」がキーになるのではないか、と考え始めたのである。

本書で展開する72の「小さな思想の粒」は、自然の一部として生きる人間の心の状態から始まっている。それは「人は初めから底知れぬ不安に落ち込んでいる」ということである。人間の様々な行為はここから始まっている。不安だから人は人と抱き合い、不安だから人は人と争う。人と人は誰でも愛しながら心の中で争ってもいる。不安だから結婚をし、子孫を残す。不安だから戦争に怯え、それにもかかわらず、不安だから戦闘をする。不安から逃れるために宗教が生まれ広がったのだろうし、この不安が芸術を生み出したのである。
(中略)
人間のこの二律背反的な感覚が実は生命のエネルギーをつくるエンジンでもある。死が生を際立たせる。空腹が食欲を起こさせる、不安だから創造的な活動にかられる……というように、人間の二律背反というエンジンを起動するのが「逆説」なのではないか、と僕は感じている。
・・・・(本文より)
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